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御陵衛士の屯所跡 [◆京都・幕末めぐり]

【御陵衛士屯所跡】

  • 幕末スポット・・・新撰組を裏切った伊東甲子太郎らの僅か4ヶ月間の屯所跡


>>抜粋
ここ高台寺月真院は、慶応三年(一八六七)六月から十一月にかけて、熱烈な勤王主義者であり、孝明天皇の御陵衛士と証した伊東甲子太郎ら十五名が屯所とした寺院である。彼らはこの寺院を本拠として活動していたため「高台寺党」とも呼ばれている。(中略)
慶応三年十一月十八日、伊東は近藤勇から酒席の接待を受けた帰り、油小路木津屋橋で待ち伏せをしていた新撰組に謀殺され、(割愛)


とまあ、これだけ読むとまるで近藤勇が一方的に殺害したように受け取れるが、実際は「新撰組の別隊」といいつつ薩摩藩に出入りしたりして、薩摩藩からも本気では相手にされなかったという、かなりピエロな一派です。そして近藤暗殺を企んでいる事を、スパイで入っていた斉藤一が近藤に伝え、逆に先手を打たれてしまうんですよね。

伊東甲子太郎は藤堂平助の肝煎りで新撰組に入隊した北辰一刀流の名手であり学問優秀な人物。近藤勇も最初は歓迎し、参謀というポストを与えたほど。
分隊という名目でうまーく脱退したわけだが、新撰組を簡単に乗っ取ろうと考えたが甘かった、というところでしょう。
近藤・土方があれほどまでに悪く言えば頑迷、よく言えば信念強固だったとは意外だったのかもしれません。
清河八郎と同じく、利発で政治や将来の見通しがたつゆえに、自分に同調する者が追従すると考えたのでしょう。
議論が達者な人は、人を言いくるめる事に長けてはいるが、信念がないと人を動かす事はできません。
有象無象の輩は騙せても、器の大きい人物は騙せませんよね。

…と、やはり穿った見方しか出来ないのですが、まあ伊東も、最初から新撰組を乗っ取るつもりはなかったのかもしれない。ただ単に、他の志士や古参の新撰組幹部ほど、何かしらの使命感が足らなかっただけの話かも。
まあ、坂本龍馬に命の危険を伝えに言って、取り入ろうとしたが足蹴にされたくらいだから、小者だったということで[たらーっ(汗)]


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↑通称ねねの道沿いにあります

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↑門からは庭が見えます。とても静かでよい佇まいです

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