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神田めぐり④~玄武館道場跡 [◆ほか新撰組めぐり]

■玄武館道場跡



幕末期には新撰組とも深い関係のある道場。
江戸三大道場として名高い北辰一刀流、千葉周作の道場です。

新選組幹部の山南敬助や、藤堂平助、藤堂平助の誘いで客分として迎えられた伊東甲子太郎も同門。
新撰組の前身である浪士組幹部の清河八郎、幕末三舟として江戸無血開城でも活躍した山岡鉄舟、坂本龍馬も一時期この道場に通っていた。
というからして、やや興奮して到着するも、なんだか微妙な跡地にどぎまぎ。

千桜小学校の敷地内だったそうだが、その学校も廃校になっていて、昔の校門を自由に押し開けて入ることができる。学校に続いていたのだろうと思われる煉瓦道の一帯が跡地になっている。
壁の向こうには更地が広がり、ちょっとした廃墟の様相。
千桜小学校建立から100年経った記念碑が物悲しい。
(在りし日の小学校の画像を拝見したサイトはこちら

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神田老舗蕎麦・甘味めぐり [老舗飲食店・和のお店]

■まつや

正月、通りは閑散としているもこの店の中には沢山の人。
禁煙席等無いのも、昔ならでは。一押しのごま蕎麦は、びっくりするほど美味しい
ごまの味が濃厚なれどツユの味もしっかりと。これだけで何枚もいけそう。
つまみなどじっくりやりたかったが、次があるし混んでいるので江戸っ子らしくサッと出る。
正月なので嬉しいお年賀を頂いた。こちら特製の七味唐辛子。
ゆずと普通のと、二つもいただいて嬉しい♪

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↑いただいたお年賀です



簡素で清楚で雅な建物。月も出た時分なので店内は一組だけ。
ちょっと京都を匂わせるような、それでいて庶民さも残る店内の雰囲気はほっとする。
店内は撮影禁止なので、携帯電話をいじると誤解されそうでヒヤヒヤ。

あわぜんざいは柔らかくて口の中で溶けていく。餡子はなめらかな甘さ。
桜茶は見事な香り。桜の香りって、それだけで「甘さ」を連想させるんだなぁ。
きつめの塩っぱさが甘さでぼんやりした舌を引き締める。
塩受けの花びらを口に含むと早い春の味がした。

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旅館の離れへの渡り廊下のような入り口からして気分が高揚する。
本物の伊勢海老つきの巨大鏡餅と、その周囲に並ぶ三方に載った鏡餅たち、さらに酒樽が正月気分を盛り上げる。
まつや、竹村と満腹に近い状態だったので、胃を落ち着かせるために、鴨ロースと焼き味噌を日本酒で。
肉の善し悪しは語れるほど通ではないが、葱と辛子と肉がもう、絶妙にうまい。
締めに頼んだせいろ。火照った体をひんやりした蕎麦の喉ごしがつつっと気持ちいい。
おかみさんの注文をうけた後の「通し言葉」が、どこか浮世離れしていて、現代であることをふっと忘れさせる。
こちらでも、お年賀「さるやの楊枝」をいただきました!
以前から甘味をたべる時など黒文字かわりに使いたかったので嬉しい♪

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↑緑かかったお蕎麦です

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↑いただいたお年賀

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神田めぐり③~神田明神 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

◎歴史の暗部も併せ持つ神社

一之宮…大国主命(おおくにぬしのみこと)
二之宮…少彦名命
三之宮…平将門

108の町々の総氏神様として1300年近い歴史を持つ神田明神。
HPによると「730年に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。」とある。

総氏神なのになぜ天照ではなく大国主命なのだろうと思っていた理由は解けたが、そこへ平将門も祀られているというのは本当に興味深い。
偶然なのだろうが、祭神の顔ぶれをみると神田明神は「大いなる怨霊を鎮める」神社ともいえる。

大国主命は「国譲り」の神話では、少彦名命と苦労して国造りを行ったのに天界から降りてきた天照に国を譲れといわれ、やむなく明け渡す。
これを戦争により大和朝廷が出雲氏族を制圧したという学説からすると、出雲大社は「大国主命の怨霊を鎮める」意図のために建設された可能性が高いとされているが(私もそう思う)、同じ様に朝廷への反逆者・そして怨霊の化身である将門がここで祀られているというのも、なんだか大きな意図が秘められているようで、少し怖い。

また、HPを読んでいて新たな疑問が湧いた。
1616年までは、将門塚周辺に神田明神はあったのである。
自然に考えると、将門の首塚はすぐにでもこの神社内に作られたと思うが、そうではない。

「その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。」

将門が死んだのは940年で、有名な伝説によると「将門の首が飛んできた」のはその僅か3日後である。長らく祟りで住民を苦しめてきたというが、350年近くも空きすぎではないか。
実際、将軍塚が作られたのはいつなのだろうか。そして「神田」に移される前の神田明神は、なんと呼ばれていたのだろうか。

通説では「神田」は神に奉納する稲を育てる田んぼを指すが、東京の神田に関しては「将門の体がなまってカンダとなった」説まで存在するから怖い。
社殿の明るい開放的な雰囲気と反対に、知れば知るほど謎が増す神社だなと改めて思った。

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↑神田明神資料館

他にも、資料館では【特別展 江戸の華 神田祭を知りたい】という企画展示があり、神田祭を描いた浮世絵や江戸時代の祭り行列を模した模型、山車の細工を間近で見学でき、とても有意義だった。神田祭にちなんだ歌舞伎の演目の浮世絵は、役者の遠景に神田祭のシルエットが浮かぶという趣向で、なかなかなもの。

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また、神殿の周囲には様々な社が存在する。
せっかくだから一つ一つ廻り、日本の神(=自然)を意識し日々に感謝するのも正月ならではだと思う。

・三天王一の宮/江戸神社…スサノオノミコト
・三天王二の宮/大伝馬町八雲神社…スサノオノミコト
・三天王三の宮/小船町八雲神社…スサノオノミコト
・魚河岸水神社…ミツハノメノミコト
・浦安稲荷神社…ウカノミタマノカミ
・三宿稲荷神社…ウカノミタマノカミ
・金刀比羅神社…オオモノヌシノミコト、カナヤマヒコノミコト、ウメノミナカヌシノミコト
・末広稲荷神社…ウアカノミタマノカミ
・籠祖神社…援田彦大神、塩土翁神

・水野年方(浮世絵師)の碑
・国学発祥の地
・銭形平次の碑
・石獅子…江戸時代末期の作

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↑銭形平次の碑。石碑の土台が銭の形になっている

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↑石獅子

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↑少彦名命の、海から渡ってきた神話を模した像

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