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江戸東京たてもの園・夜のライトアップ [★和の催し]

  • 所要時間:ゆっくりじっくり見て3時間


http://tatemonoen.jp/
 
※去年行った際の感想です。今年も行われるので是非。

webクーポンの200円割引を見せたら、小冊子をくれて、更に入り口ではホッカイロと懐中電灯を貸してくれた。まさに至れり尽くせり。
 
◇高橋是清亭
総栂普請』というそうです。緑色の砂壁と、書斎の厚いガラス窓が印象深い。
しかも木枠が複雑な幾何学で、手の込んだ造りよう。
昔の分厚く伸ばした水飴のように波打ったガラスは好きだ。
一階の食堂は広く、応接室は鳥の扁額が三つ。長椅子と一人がけ椅子が二脚。
昭和レトロなデザイン。
しきりに「暗い部屋だ、嫌だ」と呟いている年配の方がいたが、戦時中の事でも思い出すのだろうか?

それよりも驚きなのは、観賞用の小部屋で寝ている中学生か高校生くらいの女の子がいたことだ。家族らしきグループがいたので、来たくもないのに連れてこられて不満なのか、何か不貞寝をしている風情。長髪で表情が見えなかったが起きても乱暴・乱雑に物を扱うので物でも壊さないかと気になった。

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◇西川家別邸
真ん中に茶を点てられる様になっていて、欄干の造りも美しい。
畳と緑の砂壁が明るく、高橋亭より瑞々しい感じがした。
西川家では鴨居の上も障子だったがこれは何という造りなのだろう。
五右衛門を嵌め込んだような風呂が面白い。

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◇広場の屋台
古い家につきものの、冷たい廊下ですっかり冷えてしまった体を広場で温める。
蝋燭と行灯で埋められた広場はそこだけ蛍の丘のように煌いていた。
食した豚汁は、屋台の中では人生No1の大容量、具沢山!
ユニークなおじさんで、呼子に「もう勧めないでー。お客さん呼ばないで~」とのたまう。
が、ほくほく受け渡された人の顔を見て、更に並ぶ人は増える。
 
皇居正門石橋の電燈と、その横に交番。この交番には当時の制服を着たと思わしき年配男性が警官に扮し、子供らにお菓子を配る。こういった風情が、昭和のど真ん中を生きたわけでもないのに、「昭和らしさ」と定義づけてしまう自分がいますw。

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◇丸二商店
あまり現在の小間物屋と変わらない風情に何やらほっとする。
南部鉄器や箒、束子などは実際新品をそのまま置いているようで、値札がついているw。
都会住まいだと箒などは滅多に使わないが、外国の粗悪品は嫌というほど見ているので、生活用品は日本産を買い続けたいと改めて誓った。

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◇カンバン建築について
昔よくあった表面がのっぺりした建築物は「看板建築」と呼ぶんですね。
コンクリートの建築物は当時珍しかったので、空襲の時にみな逃げ込んだとか。
 
路地が再現されていましたが、私は昔の木造家屋などに打ち付けられたブリキの広告、これが余り好きじゃない。ここから粋という言葉が建物から消えていった気がして…

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◇子宝湯
男湯と女湯の壁が低くて驚いた。
銭湯って、こんなものだっけ?
近年、銭湯の絵描きに弟子入りした女性の話がちょこちょこテレビで取り上げられていたが、彼女は一体どうしただろうか…とふと思い出す。
担い手はいまや四人というが、考えてみれば江戸時代は湯船は石榴口からかがんで入り、中は暗かったため、湯船の壁に絵を描く歴史は短いのですよね。
和製フレスコ画
のようで面白いから、廃れずに残って欲しい。

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◇居酒屋「鍵屋」,万徳旅館
出桁造りの居酒屋「鍵屋」と出桁造りの町家の、格子の美しさにうっとりする。
昭和25年まで営業していたという万徳旅館は、生まれる30年近く前まで街道にあったことが信じられない。

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◇前川邸・小出邸
近代建築家の前川國男(邸)、小出邸などはまだ「和」の美意識をふんだんに取り入れている。
現代と違い、中はロマネスク風とでも呼べばいいのか、レトロなのが面白い。
しかし洋であっても和であっても、古い意匠同士は妙にマッチする。前川邸は外観は入り母屋造りだが、大きな一枚扉だったりはめ込み式クローゼットがあったりと中は斬新。

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◇村上精華堂
古代ローマ風の柱がユニーク。しかし二階のバルコニーの透かし彫りが松のようだし、青緑色が日本的。

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◇世田谷の家
氷で冷やす冷蔵庫、陶器でできたガスコンロなど、初期のシステムキッチンを垣間見ることが出来た。

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◇八王子千人同心の家で「昔の灯体験」
最後は農家のいろりで暖まり「昔の灯」体験で、和ろうそくと行灯を体験。
ここではさすがに当時の庶民のように魚油を利用してはいなかった(庶民は菜種油など高くて頻繁には買えず、魚の油を利用していたので家屋は魚臭かったという)。
けっこうゆらぐので、夜間読書などしたら確かに眼は悪くなるだろう。
確かに暗いことは暗いが、不思議と心もとい気はしなかった。暖色だからだろうか。
和蝋燭はさすがの安定感。ただ、炎の威力が激しくて思いのほか揺らいでいた。

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◇常盤台写真場

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現在でも、写真撮影を行う催しなど開催しているようです。
現代の写真スタジオよりも広くて趣がありますね。


◇あとがき

こうしてつくづく眺めていると、取り残され移築されてきた建物の風情が物悲しい。
保存することは大事だし、勿論こういう博物館はあり続けるべきだと思っている。
丁寧に磨かれてきた「箱庭」と称された江戸。
自然と一体化した日本の景観は、一体どこへ消えてしまったのだろうかと嘆きたくなる。
跡にニョキニョキ生えてきたのは鉄の塊、無計画に立てられたフェンス、坂道には雑然と石垣とコンクリートが適当に混ざり合い、復元しようにもできはしない。
江戸時代にはあんなにも市井の住人に美術品や工芸品が浸透していた、といわれ再評価されている日本なのに、いつから「美意識」を無くしてしまったのか。
東京だけでなく、地方の景観も同じ問題を抱えていると思う。
同じ日本人として、どうにも信じられないのである。

ZAPPA‐風(ふう)‐ [時代劇・ドラマ]

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http://zappa-zappa.com/pg177.html

劇団ザッパの芝居、風を見てきました。
沖田総司がサヴァン症候群で、同じ症状を持つ少女ら姉妹を絡めて、新撰組結成当初から池田屋までを描きます。

多摩のある日、破落戸に雇われた姉妹に騙されて、落とし穴に落ちた勇、歳三。
そこに同じく騙されて落ちた新八、山南、佐之助ら。
なんと彼らは試衛館ではなく、この落とし穴で初めて出会う設定。
姉妹も破落戸に騙されていたことを知り、なんとか穴から出ようとするのだが、そこで同じサヴァンのよもぎと総司も出会う。
そしてよもぎに天才的な絵の才能があることがここで明かされます。
姉のあかねと勇の間にはほのかな恋心が芽生え、互いに京都で一旗あげることを誓い合う。

が、徐々に歯車が狂っていく。
総司は誤って勇を傷つけてしまい、それから人を斬れなくなる。
よもぎらは似顔絵で生計を立てていたが、その才能ゆえに攘夷志士に利用され、結果的に全員死んでしまう。
ここで疑問なのは、姉の二人だけならまだしも、よもぎまで死んでしまう事。
同じサヴァンの総司は史実上死ぬのは明白なので、よもぎに未来を託し生き残った彼女が、後年死んでいった新撰組の面々を描き続ける…
そういったシナリオでもよかったのではないか。
あかねが勇の腕に抱かれながら、あれほどくどく末期の台詞を吐いたのにそれも台無しになってしまう。

また、隊士が矢鱈とドタバタするのが煩わしい。
それが、台詞のくささに輪をかけてしまっている。

芹沢鴨の腰巾着の新見錦と平山五郎が実は間者であり、芹沢は知らぬということ、芹沢が人斬りができなくなった総司をかばい死んでしまうなど、全体的に面白い展開なのだが、ずっと暑苦しいと陳腐に見えてしまい勿体無い。
二時間半もあるので、もう少しそぎ落としメリハリをつけてもいいのではと思いました。

ちなみに友人が隊服はあれは浅葱色ではないのに何故浅葱色と表現?と疑問に思っていたが、新撰組ファンにとってはまさしくいつも辟易していることで、あの空色は決して浅葱色ではない。
本物の浅葱色の羽織を揃えるのが大変なのだろうか。


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企画展「おみやげと鉄道」 [★和の催し]

■鉄道歴史展示室

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英語ではスーベニアに相当する「お土産」。
日本では昔、伊勢神宮の「宮笥」(神社でもらう「御札」をはる板)を、故郷に買って帰ったのが始まりと言われています。

伊勢講で出かけた人々は特に、皆でお金を出し合って代表者が旅行している訳ですから、ご近所にご利益を持ち帰らねばという心から始まったのでしょう。

他の説もあるけれど、私はなるほどと思います。
現代でも旅行に行くと「おみやげ買わなきゃ」となるのは、何百年も続いた「お参り」の感謝がDNAに染み付いたからなのだろうと至極納得できます。

今回は、監修者が大英博物館(!)で開催されていた「現代日本のおみやげ」という小さな企画展示を見たことから、実現に結びついたそうです。イギリスのキュレーターは、自国で御土産を買い漁る日本人を見て疑問に思ったのでしょうか?(笑)

江戸時代に大流行した旅ブームが明治以降もそのままに、あらゆる旅グッズの経緯が紹介されて面白い。
双六(すごろく)のように駅名が記された地図。江戸時代の土産物番付。土産物が東西合戦している浮世絵。

崎陽軒の駅弁スタイルは、箱の大きさや着物の丈・素材などが綿密に決められていた事とか、初の駅構内営業許可を取ったのはイギリス人のジョン・ブラック氏だとか、いろいろなトリビアが満載。

松島での町民一体となっての観光地誘致と歓待は、現代の町おこしに通じるものがある。
戦争で汽車が解体・没収されるなどして、一時期旅行どころではなくなったが、さにあらんや、日本から旅文化が消える事はなかったのである。
しかし土産を買わないと罪悪感を伴うDNAはあと何世代まで受け継がれるのだろうか。
たまに面倒だなぁとは思うが、しかしなんといっても話のネタにはなるし、なんだかんだと喜んでもらえるとこちらも嬉しくなる。
土産とは照れ屋の日本人の、便利なコミュニケーションツールなのだ。

※9/18来訪


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