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初の相撲観戦!② [★相撲観戦]

この日は

  • 一階の土産物をぐるり→
  • 二階で焼鳥→
  • 一階の相撲博物館→
  • 十両から相撲観戦


という行動を取りました。
本当は相撲ちゃんこを地下食堂で食べたかったのですが、時間がなくて諦めました。
折角この日は錣山部屋のちゃんこで、大好きな豊真将が宣伝していたというのにっ…。

観戦とはいわずとも、やはり気になってチラチラと序二段や三段目の取組をのぞきにいったのですが、全ての力士に声をかけている女性がいました。こういう方がいると、やはりやり甲斐があるというか、気持ちの張り方が全然違うでしょうね。

人の入りも疎らななか、土俵では真剣勝負をしているのに、廊下では焼鳥食べたりビール飲んだりしてる人がいるっていう不思議な空間。
ライヴハウスなどは、飲食スペースがステージと同じフロアだったりするのに、相撲は本当に壁の外に出ちゃう。そして外でのお楽しみが多い。
歌舞伎もそうですけど、意外と日本の興行ってその場で一日楽しめるように設計されている。
江戸時代の大衆文化の成熟度合いが感じられますね。

相撲博物館
では江戸時代の横綱と雷電という名目で伝説の力士たちの持ち物、着物、錦絵などを展示。
谷風梶之助・小野川喜三郎の取り組みの浮世絵にはちゃんと「木村庄之助」が!凛々しく若い男性でした。
【雷電為右衛門の手形】は大田南畝の狂歌と雷電の手形という、好事家垂涎の一品。

この手形もでっかくてびっくりしたけど、誰のか忘れたがキセルと根付が通常の五倍はあろうかという大きさで、これまた魂消た。支援者が力士の体格に見合うよう、特注して作らせたものだそうです。象牙などふんだんに意匠に凝り、素晴らしい逸品でした。かに腰からぶら下げたものが小さいと格好悪いし、通常サイズの根付だと腹の肉の下に隠れてしまいそうw。

足袋も残されていましたが、それまた巨大。
幕末、外国人から小人と揶揄された日本人。
当時は体が大きいだけで一際目立っただろうから、今とは比較にならないくらい英雄視されたでしょうね。
当時の背の高い男児はもれなく「相撲取りになりなさい!」と言われてしまったのかな。

しかし不知火型と雲竜型の祖とされた力士は幕末に活躍していた人達だったんですね。
もっと古い時代から伝わっていたのかと思っていました。
あと、締め込みの「下がり」は、昔は縫い付けられていたのですね。
現代は洗濯しやすいなどの利便性があるのでしょうか。
取り組み終わるとすぐ邪魔っけに取っちゃいますよね。

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↑ちょっと休憩

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↑冷めても美味しいに偽り無し!

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↑相撲手拭い購入したら遠藤カードをもらいました

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↑左上から若貴兄弟、豊真将、鶴竜、下は遠藤二枚

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↑ひよの山の飴ちゃん。五個入りでちょっとしたお土産に最適!

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↑相撲博物館を出ると琴欧州が!撮影会してました

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↑閑散としている三段目あたり。二階からチラ見

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↑今回から彩色絵ではなく写真になった優勝額

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↑いよいよ中へ入ります!


初の相撲観戦!① [★相撲観戦]

五月場所、九日目に行ってまいりました!初の相撲観戦!
初日や千秋楽のチケットは「お茶屋通さず・部屋通さず」の通常ルートではとれるわけもなく。
九日目の興行が取れただけでもラッキーでした。

いやー、初めてなので「序の口から見る!」なんて言っていたものの、着物に手間取って正午に着いてしまいました。トホホ。de_01_0123_p.gif
両国駅の手形が増えているような・・・?
既に総武線から浴衣姿の力士たちがチラホラと見え、わくわくしましたよ~。付け人かな?

いつも江戸東京博物館に行く時に、閑散としている様子しか知らないので、祭り気分の両国は楽しいですね。
いよいよここに足を踏み入れるのかーって、大げさですけど子供のようにはしゃいでました。

事前予習していたものの、何かしら目につくとあっちにふらふらこっちにふらふらと、落ち着かなくって、まさに野暮天。
もう開き直って、遠藤のお姫様だっこパネルから、正面ロビーの優勝杯から、全ての階のお土産屋から、巡業風景の写真コーナーまで、余すところなく写真に納めましたよ、ええ。多分そこらの外国人より、ソワソワしてたと思う。

ところで、びんづけ油って、久しぶりに嗅ぎましたけど、丁度最近「和風総本家」で鬢付け油の職人さんが紹介されていたのを思い出しました。いまや手作り国内産は一箇所でしか製造してないそうです。
その工場をたたんでしまったらどうなるのか・・・と心配した私はその時、各部屋が協力して床山さんたちが持ちまわりで派遣され、その収益は幕下力士に分配、などと思ったものです。

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↑両国駅を出ると気分が盛り上がります

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↑幟がはためく

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↑相撲人気回復に一役かってると思う!カワイイ♪

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↑ざんぎりの遠藤はもう過去だから結構レア?

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↑豊国稲荷神社と出世稲荷神社

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↑昭和三十年に天皇陛下が上覧されたときのことを説明した石碑

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↑昼過ぎなので人もまばら

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↑センスのいい扇子wが並んでいます

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↑首相がいつもよたつきながら渡す賜杯。巨大!

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↑錦絵販売。遠藤五枚セットもありましたが、豊真将があったのが嬉しい!

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↑ひよの山グッズ!手前のドーナツ座布団が意外に売れていた

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↑マスクとフィギュアの価格差!フィギュアはよくよく見ると酷似&精巧

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↑名物角力チョコレート

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↑びんづけ油はほのかに甘い

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「キトラ古墳展」を振り返る [★和の催し]

●HP・・・http://kitora2014.jp/

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↑180分の長蛇の列

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もう終わってしまいましたが、とんでもない人気でしたね。
公開期間が短い事に加えて、「カビ問題」などでニュースにもなっていた高松塚古墳の一部も展示。
それに加えて埋葬者が誰なのかがわからない点や、壁画の彩色者がどんな職人達だったのかも何も残されていない点が、とてもミステリアス。
キトラとは「亀寅」のことだったんですね。最初に覗いたときに見えた壁画から「キトラ」となったそうです。

ピラミッドしかり、古墳しかり、秘められた「死後」という未知の世界。
本来「死」は忌まわしいものなのに、なぜ人間は魅力を感じるのか。

人は口では死後などない、と言う。だが深層心理では何かがあると信じているのではないか。
もとい、信じたいのではないか。

誰も見ることの無い神々が見守る暗い石室に、横たわる遺体。
それは死んで腐った肉体から、どこかで生き続ける魂に変わる瞬間。
職工たちは誰が見ることも無い、素晴らしい芸術作品をどんな気持ちで描いたのか。
彼らは何年、この墓が暴かれる事も無く風化することもなく保ち続けられるかと考えただろうか。

私はいつも思うのですが、例えば今回の遺跡は7~8世紀頃という事で、今から1300年前と言うのは凄い隔たりを感じるわけだが、1600年に関が原を戦った戦国武将たちにとっても700年前と言うのは、古典ですよ。
戦国武将たちにとっても古いものというのは、現代の私達と同じように、不思議なものであり伝説であり不可解で謎だったと思うのです。

当たり前だったものが当たり前として存在するのは300年ほどくらいだろうと思うのですが、謎のまま連綿と「ある物体」が残っているというのが凄いことだと思うのですよ。

そして、180分も並ぶ列ができるんですね(笑)
図を見ても判るように、本当に展示品は少ないです。
それなのに180分というのは、いかに並んでいる人数が多いか、ということなんですね。
(夜間延長で退出した20時閉館時間でも全員入りきらず、まだ外に行列が残っていました)
並んでいる間は、イヤホンガイドを徹底的に聞いていたら、あっという間に時間が経ちました。
中に入ってからではなかなか時間が無いので、事前に傾聴していて良かったです。IMG_0002.jpg

展示物は、原寸大の壁画模造品エリアは自由に鑑賞できます。
しかし、本物の場所にくると、一列になり立ち止まらないよう指示されるので、時間は少し物足りませんでした。
わかっていることなのですが、全ての壁画は泥汚れや顔料の褪色などで、ほとんどの物が判別は難しい状態。
絵のサイズは自分が思い描いていたより小ぶりでした。

しかし画そのものはこじんまりとはしておらず、構成を壊す事を恐れない線の伸びやかさは、俵屋宗達のような印象を受けました。残念ながら未展示となった青龍の舌の長さは、とても勢いのあるタッチです。
二支の馬や子(ね)・寅の表情は素朴でもあるし、現代のアニメのように目が大きいように見えます。

朱雀では赤外線で下地の線が確認できたというので、今後の研究がまたれますね。
壁画は2016年度、古墳近くに建設される施設で公開される予定とのことです。
奈良の旅行ついでに観光するのが、今から楽しみですね。


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