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江戸寺社・史跡めぐり ブログトップ
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西船橋の神社~山野浅間神社 [江戸寺社・史跡めぐり]

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去年の秋のことですが、西船橋でラグビー観戦後にぶらぶらとしました。

寺社仏閣に行けば、その土地の在り方が何となく伝わってきます。

西船橋駅から国道沿いに進むと、なかなか立派で大きな参道か現れました。
緩やかで長い階段が続き、立派な銀杏の木が左右に並んでおり、長い年月この神社はここにこうして存在していたのだろうと一目でわかります。
きっと縁日には参道沿いに屋台が並ぶのでしょう。
段を上がるごとに違う屋台に目移りしてしまう沢山の子供たち。そんな様子がまざまざと浮かびます。
境内にはぶらんこと滑り台があり、遊ぶ小さな子とそれを見守るお爺さんがいました。

社殿は嘉永三年に造営と記されているので、西暦ですと1850年なので幕末でそれほど古くはないですね。
ただ、それ以前の鎌倉時代あたりからここは神域としてまつられていたようです。

浅間神社といえば、祭神はコノハナノサクヤヒメですね。昔はこここら富士山も見えたのでしょう。

ご朱印が頂けず、少し残念でした。 もう少し足を伸ばすと竜神社などもありましたが、雨が降ってきたので退散しました。


>>石碑より抜粋

此の神社、奈良平安時代から山野浅間神社 と稱する一宇の祠は、駿河の國富士浅間社 の勧請で木花咲耶姫を奉祀して、縁結び、 安産、子育ての神として近郷近在の尊詣頗る厚く、毎年七月一日の山開きには、お禮詣りの善男善女が列をなし登山参拝して大賑いであったと傳へ現在もその隆盛を誇っている。 山野浅間神社の名が廣く世に知られる所以である。 爾来、嘉永三年に神殿として造営され、昭和四十七年七月に増改築が行はれ間口四間三尺奥行七間三尺に及ぶ新社殿となった。 地方の信仰の中心である由緒深き霊地を、 有るが儘に任せるには偲びず、御許を仰ぎ 古き祠が鎮座していたといふ因縁の地を探 し求め、此の神殿を建立寄与した次第である。 入神の儀を行ひ、末永く霊験灼かに若き男女に縁結び安産、子育て、旅の安全の幸を授け給へと祈りてその由来を誌するもので ある。(境内石碑より)


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↑境内の裏に雷の落ちた大木がありました

梅窓院 [江戸寺社・史跡めぐり]

●HP・・・

入口のまるで異世界へいざなうような竹林を抜けると、全く正反対の鉄筋コンクリートの巨大なビルがどん、とあり、いかにも現代風な寺院だなと感じざるを得ませんでした。
開かれた寺院を目指しているようですが、個人的にはビルの方が入りにくい。
なので、本堂には参拝しませんでした。

ただ、山門を抜けると眼前が墓地で、ビルは右手にあるので視界から受ける圧迫感はありません。
むしろ敷地内に別のビルが入り込んでしまったような、別物の感覚を受けます。
檀家さんたちから見れば、風雨関係なくさっと入ることができる大きな玄関はとても便利でしょうね。
また、檀家さん向けの無料休憩所が外に設けてあり、麦茶などで体を暖めることができます。

水琴窟とシーボルトの弟子として蘭学を学んだ竹内玄同の墓などを見学いたしました。
また、青山宗家の墓もあり縁はありませんが手を合わせました。

>>寺歴抜粋
徳川家康公以来の家臣、老中青山大蔵少輔幸成公が逝去の時、 青山公の下屋敷内に13,247坪の地を画して側室を 大檀越として建立されました。



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↑水琴窟は、ここにあったであろうと復元されたもののようです


麻布十番~和食と神社めぐり [江戸寺社・史跡めぐり]

■しろいくろ

●HP・・・shiroikuro.stores.jp/

いかにも昭和の時代に建てられた、という民家を改築した和菓子屋さん。
イートインスペースはテーブル2つにスツール&カウンターのみで、6~7人でいっぱいになってしまいます。

メニューは白と黒を基調としたロールケーキと大福、丁寧に入れたお茶という厳選されたバリエーションのみで、派手さも華やかさもないが「いいものを見つけた」いう満足感にひたれます。

もちろん雰囲気だけではなく、菓子そのものも美味。
ロールケーキの黒は爽やかなチーズ風味のクリームに、少し苦みを感じさせるスポンジ。
白のスポンジはレモンの酸味がありつつも、どこかミルキーで口当たりはまろやかです。
両方ともクリームとスポンジの濃さを入れ替えたよう。どちらを同時に頂いてもまったく飽きません。

黒豆茶は最後の一杯でしたが友達が譲ってくれました。
しっかり炊かれたお豆さんのエキスがほどよくしみ出て、黒豆ってこんなに甘いんだ!と驚き。
BGMも商品ケースも、余計な物は一切排除した潔いお店。

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■月島家

●HP・・・www.azabujuban.or.jp/shop/food/297/

おいなりさん、おにぎり、大判焼きと、庶民の基本的な軽食を取りそろえているお店。
たいやきの浪花屋さんに「1時間待つ」と言われて、しょぼしょぼと通りを渡ると目の前に救世主。
しかしこちらのお店も大変な人気で、いなりずしもおにぎりも完売、今川焼はチーズが最後の一つだったので、今度は私が友人に譲り、オーソドックスに餡子を頂きました。
黒糖が練りこまれた生地は、ほんのり茶色く色づいて、仄かにいい香りがしました。

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↑小さなソフトクリームコーンがレトロ

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↑左がチーズで右の寿は餡子です


■十番稲荷神社

●HP・・・http://www.jubaninari.or.jp/

黄色い宝船の御朱印で知られている神社。
境内と呼べるほどの面積は無く、階段を上がるとすぐにお社があります。

かえるの石像は、ちょっと前までは階段脇の一階奥に鎮座していたようですが、正面鳥居のすぐ脇に移動してました。
「水をかけすぎてボウフラがわいてしまった」とのことで、今は水掛けもしないことになりました。
小さな鳥居から商店街を見守るかえるさんは、口を一文字に結んでいますが、どこか愛嬌のあるお顔でとても可愛い。

>>かえるの石像の由来抜粋
江戸時代 文政4年(1821)7月2日、麻布古川あたりより始まった大火で、このあたりが殆ど焼けてしまった時、なぜか備中成羽(今の岡山県西部)の領主、山崎主税助(やまさきちからのすけ)の屋敷のみが類焼を免れました。これは邸内の池の大かえるが、水を吹きかけて猛火を退けたからであると言われ、山崎家に御札を求める人々があとを断ちませんでした。 そこで山崎家では文政4年の9月より、「上」(じょう)という一字が書かれた御札を万人に授けるようになりました。この御札は「上の字様」と称され、防火・火傷のお守りとして信仰を集めました。

ちなみに頂いた御朱印は簡素なもので、図柄は入っておりませんでした。

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↑本善寺にあった七面大明神から名づけられた

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↑坂の東側に鳥居家の屋敷があったことから坂の名に


■饂飩くろさわ


●HP・・・http://www.9638.net/udon/

山王にある「永田町 黒澤」の姉妹店。
こちらは「メンチカツ」が有名だそうで、入店すると「メンチカツまだありますよ」と店員さんから声をかけられました(笑)。
壁にも「メンチカツだけの注文はお断り」とあります。
ここまで書かれて食べないわけにもいかないでしょう!と、注文したのは「メンチカツ」と「ざるうどん」。

ちょっとせこい話ですが、実はこの前に「スヌーピーミュージアム」にも立ち寄ったため有り金がなくなり、千円で食べられる範囲内のお品書きとなりました(笑)。でもこの二品だけで十分満足。

うどんはものすごくコシがあり、手延べではなく切り口がある「角が立つ」タイプだったかな(間違ってたらごめんなさい)。
歯ごたえがあって私は好き。
友人が頼んだおでんは、関西風の出汁にじっくりと浸されて。

そしてメンチカツ!脂身でごまかさない肉汁がじゅわっとあふれます。
どこか渋みのあるこっくりとしたお肉の美味しさを損なわない、厚すぎない衣。名物になるのもうなずけます。
お酒の値段も手頃だったし、カレーうどんもめちゃくちゃ美味しそうだった!六本木にしては良心的なんじゃないかな?

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