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富士宮の神社めぐり [富士宮]

富士宮市内の様々な小さな社をめぐりました。

■神田宮
由来等不明です。神田、という名前なので昔奉納用の米を造る田んぼだったのかもしれません。
駐車場と使用されている左右のスペースが、そうだったのではと想起させます。


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■蔵屋敷稲荷神社
祭神…宇迦之御魂神

<由来・看板より>
この神社の創建については不詳であるが、もとは大宮城内の蔵屋敷の神として祀られていたが、城の解体とともに蔵屋敷の地名共々に残ったものと思われる。
以来神田区の氏神として又鎮守として祭られてきたものであるが、そこに改めて文化六年の大晦日、日本稲荷総本山愛染寺より正一位稲荷大明神を勧請したものである~当社の社殿については弘化三年に再建されている。
その前については不詳、現在の社殿は大正十二年に再建されたものである。

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■長屋門

<由来・看板より>
 江戸時代後期の安政4年(1857)、江戸幕府の側用人であった本郷泰固は、武蔵、上総、遠江のほか現富士市の川成島も所領地とする大名となり、川成島天王社前(現在の新富士駅南口付近)に長屋門のある陣屋を築き本拠としました。
この屋敷は明治以後、地元用人の和田家に引き継がれたといい、その後昭和14~15年(1939~1940)にかけて、この屋敷の大部分が取り壊されましたが、長屋門は、和田家の親戚筋の遠藤家が譲り受けた。
遠藤家は当時、現在地において料亭「高しま家」を大々的に営み、長屋門は、この料亭の門として移築された。
平成15年(2003)富士宮市は、旧高しま家跡地を取得し、平成20年(2008年)、長屋門を古民家再生事業として修理復元した。

こちらで食事をしようと思っていたら、閉店と書いてあり非常にがっかりしました。
※今は別のレストランが借り受けて営業しているようです。⇒sakuya

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↑裏手から見るとこのようになっています


■棹地稲荷神社

日本に一つしかないだろうといわれている、測量を意味する名前の神社とのこと。
明治維新の頃、土地測量が行われた際に使用した棹を奉納したことから、棹地稲荷と呼ばれるようになったそうです。
あくまで祭神は他の稲荷神社と同じ宇迦之御魂神。お稲荷さんで通っていますが、狐が守っているのはこの神様です。

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富士山本宮浅間大社②~湧玉池・赤心隊の碑・信長の富士見石 [富士宮]

■湧玉池 

東側に湧玉池があります。
平安朝の歌人平兼盛が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠じた。
この池は富士山の雪解け水で透き通り下の藻がくっきり見えるほど美しい。
特別天然記念物に指定されています。

湧水量は一秒間に3.6キロリットルというのはすごいですね。
富士宮中、湧き水や用水路だらけなのが納得できます。
富士道者はこの池で身を清めるのが慣わしだったそうですが、現在は勝手に池に入ってもいいのでしょうか。いまや天然記念物だし。

池の周りは色とりどりの神鶏がいてビックリ。伊勢神宮を思い出しますね。
餌を売っているおばさんがいて、1カップ50円で販売。
神鶏は慣れたもので、購入した後から一定の距離をとってついてくる。
手から餌を啄ばむ程人間に慣れてて、可愛い~。
ついでに大量の鳩も寄ってきました。みな虎視眈々と左手のカップを狙う。
いつのまにか大量の鳥に包囲されていた。
同じ様に餌をあげていたおじさんが、「パンも喜ぶよ」といって、1本丸ごとくれました。
その瞬間、鳩が急浮上、勝手に腕に!上野の鳩並みの図々しさです。
しかしよく見ると、手乗りは同じ鳩ばかり。鳩によっても勇気のあるものと無い者と、個体差があるんですね。鳩のお腹はホカホカして、柔らかくて…東京にいるものより、清潔に感じました。

その後「餌あげるべからず」という看板を発見。
神社さん、申し訳ない…けど、あのおばさんは無認可?とにかく鳥のパラダイスなのは確か。
池の鴨も餌の取り合いで大喧嘩。なるべく均等に行き渡るよう、ほうぼうに投げたので疲れた(笑
30分以上戯れてしまいました。

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↑ペットボトルに水を汲みました。問題なく美味しい

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↑鵜が一羽、たたずんでいた

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↑手から餌をとりますが、近寄ると逃げます

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↑この鳥の種類はなんだろう

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↑※注)野生です。周りでじっと待ってる鳩も可愛い

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■駿州赤心隊の碑

富士亦八郎重本は幕末、この浅間大社の大宮司家に生まれながらも、勤皇に献身した人物。
東征軍に参加し、赤心隊を率いて幕軍と戦い、その後西南戦争に従軍した後、東京招魂社の社司、東京麹町区長と転任したそうです。
幕末の激動を生きた人間がここにも。

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■信長の富士見石

織田信長が、甲州からの凱旋の際、ここに腰掛けて富士山を眺めたそうです。
浅間大社の西側、流鏑馬の馬場を抜けてすぐ、図書館の前にあります。

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富士山本宮浅間大社①~参道・本社 [富士宮]

■富士山本宮浅間大社 

  • 祭神:木花之佐久夜毘売命。
    大社とは:平安時代初期の延喜式神名帳に大社として列格される492の神社のこと、又は自ら大社と名乗る大きな神社。
  • 造り:拝殿の上に流造の本殿が乗り、重層構造となっている「浅間造」。

>>抜粋
二重の楼閣造で棟高45尺、浅間造りと称し其の構造は他に例がありません。1階は5間4面葺卸の宝殿造り、2階は間口3間奥行2間の流れ造りで共に桧皮葺です。明治40年5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定され以後国宝又は重要文化財として特別の保護を受けてます。

巨大な鳥居の右手に富士山が目に飛び込む。木漏れ日のふる参道から本社まで、明るく冴え冴えとした清らかな印象を受けます。
「浅間造り」は初めて見たかもしれない。祭神が女性の神なので、もしかして千木は内削ぎ・・・?と思ったら、やはり外削ぎでした。やっぱり内削ぎは伊勢神宮の内宮だけなのですね。

境内には本社の両脇に三之宮浅間神社・七之宮浅間神社の末社、「富士山頂奥宮境内地行政訴訟勝訴之碑」がありました。富士山自体が富士山本宮浅間大社の御神体で、山頂にある奥宮も浅間大社の境内に属するのですが、そのことで争ったことがあったということでしょうか。興味深いですね。
絵馬が沢山かけられている柵の中にある桜は、武田信玄が手植えしたといわれています。

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↑流鏑馬の像

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↑残念ながら工事中でした

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↑朱の色が美しい

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↑信玄櫻の碑。まだ咲いていませんでした

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↑富士山噴火の際に、空中に吹き上げられ落下した岩

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↑第七次南極観測船が持ち帰った南極の石

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