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日野新撰組めぐり① [◆日野・新撰組めぐり]

かなーり遅ればせながら、いつぞや、初夏の日差し強い日に日野めぐりに行ってきたレポをアップします。

①宝泉寺

宝泉寺墓地の奥まった所に井上家の墓所があり、駐車場に面して【井上源三郎之碑】が建てられています。浅黄色の恒例の旗が建っていたのですぐわかったぞ。
お寺の前には花が生けられた睡蓮鉢がたくさんあって、日本の夏だなぁ、と爽やかな気持ちに。

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↑こちらはお墓ではなくて記念碑です


 

②大昌寺


佐藤彦五郎とその妻で土方歳三の姉、ノブが眠る佐藤家の墓所があります。
綺麗に掃除など行き届いたお寺で、立派なものでした。神妙にお手を合わせてきました。

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③佐藤彦五郎 新撰組資料館


母屋の一角を資料館にした風情で、こじんまりとしながらもキレイな資料館。
ちょうど佐藤家の子孫の女性がガイドをされてました。着物を召して、清楚な雰囲気。

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土方歳三の愛用した横笛

佐藤家によく出入りしていた兄の為次郎の三味線と一緒によく吹いていたのではないか、との事。「コラボしていたのかもしれませんねぇ」と微笑んでいらっしゃいました。想像すると、なんだか粋ですねぇ[わーい(嬉しい顔)]

土方と近藤の関係
【土方と近藤はマブダチのように描かれているが、実際は幼馴染ではない。むしろ師弟関係を超えるものではなかった】という説がパンフレットに載っていました。
土方は、浪士組に参加したいが名主のためそれを果たせない佐藤彦五郎の代理として参加した…ゆえに日野を背負っていたのであって、日野の名に恥じないよう自分を殺し努めていた、というのである。
もちろん近藤もそういう矜持は持っていたと思うけど、彼はそもそも『天然理心流の宗家』。歳三とは立場がまったく違うというところを考えると、肩を抱き合うほどの仲ではなくいつも一枚紙が挟まったような関係だったのかもしれない。

佐藤彦五郎宛てに送られた刀
刀は(罪人などで)試し切りを行い、切れ味を検分したと銘を打つと価値があがったとのこと。
歳三が彦五郎に良き刀を贈ったという証拠ですね。

佐藤彦五郎が斬った刀
血のりが錆となってうっすらとにじみ出ていた。血は拭いても錆となって浮き上がるそうで、それを研いでしまうと刀がやせるからそのままになっていたらしい。

幕末その後
佐藤家は戊辰戦争が終わったあと、新政府の追及を恐れ2年間も離散したという。その際、大事な手紙等を分散して持ち、隠れ住みながら守ったというが、無くなったものや燃やしたものも多かったという。

たくさんのお話とともに本当の土方像が見えてきたようです[わーい(嬉しい顔)]


④日野宿本陣


都内唯一の「本陣」です。本陣とは大名や身分のお高い人が宿泊に利用したり、戦いの場において文字通り本陣とする場所です。

近藤ら天然理心流の一同が激しく稽古を行っていた日野本陣。
天井が若干低い気もしたが、奥の上座だけはちょっと高かった。ちょっと野暮ったく飾り気の無い雰囲気が、荒々しい男たちによく似合う気がします。しかしこじんまりとしながらも日本庭園もあり、そこはきちんと武家屋敷のような造りになっているのだと感じました。
土間の天井が格子窓になっていて、自然光が存分に入っていて明るい[晴れ]
大勢の賄いをするのに便利だったでしょう[ファーストフード]

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↑本陣奥の間、上座です。掛け軸の跡が見えますね

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↑隣接している土産屋です。京都でみかけた物もありました


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