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▲日本の山(百名山など) ブログトップ
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4/8 奥高尾縦走②陣馬山~高尾599~高尾山・夜間ムササビ観察 [▲日本の山(百名山など)]

〈行程〉
06:45
高尾山駅到着
07:30
高尾山登頂 6号路
09:10
小仏峠
11:02
景信山登頂
12:52
明王峠
13:37
陣馬山登頂~高原下バス停まで和田林道を歩く
16:00
高尾599ミュージアム
17:00 
高橋家で夕食
17:40 
ケーブルカーで薬王院へ
18:00~20:00
高尾山でムササビ観察、1号路を下山

陣馬山までに一度急登がありますが、あとはなんてことないです。足の痛みは下山時に酷く、登りの方が楽でした。
奥高雄は林道もあれば気持ちの良い稜線もあり、奥深い森も楽しめ、展望が各々異なりリラックスして歩けるのがいいですね。
陣馬山ではコーヒーにドーナツ 40分ほど休憩し、平原のような広い山頂でお昼寝したくなる気持ちをぐっと抑え、急いで下山。ハイカット履いてるのに舗装された和田林道をジョギング気味に歩く。


登山客が多かったため、バスは急行の臨時便も出ました。

陣馬高原下バス停でJR高尾駅まで行き、再び電車で京王高尾山口駅に戻り【高尾599ミュージアム】へいきました。 丁度生き物の剥製が飾られている壁で
プロジェクションマッピングが始まり、高尾の動物たちが躍動し四季折々の素敵な物語を紡いでいました。
こちらのミュージアムは動植物の標本が主です。整然と並べられており清潔感があるからか、昆虫苦手な私でも見ることに耐えられました。ミュージアムショップは既にしまっており残念。お洒落な手ぬぐいが一押しです。

剥製のムササビを見ていたら見たくなって、ナイトハイクすることにしました。
【高橋屋】でお蕎麦を食べてビールを引っかけたら、ケーブルカーに乗り薬王院へ。その辺りで日が暮れるのを待ちました。誰もいないかと思ったら、2.3のグループが続々と。
情報では日暮れから1時間が活発と書いてあったのですが、薬王院周辺では見ること叶わず、一時間ほどして下山し始めました。
すると、
男坂を過ぎた辺りの道中「ケケケケキキキキ」と鳴き声が!
闇夜にキラッと目が6つ光りました。子供のいる巣かもしれません。それにしてもムササビの鳴き声はかわいくない()
残念ながら滑空場面は見ることができませんでしたが、木々の辺りをガサガサしている音は聞こえました。

猿園を過ぎ、いよいよ電柱がなくなり真っ暗になると、ヘッドランプに蛾が飛んでくるので困りました。
更に下ると水飲み場辺りでテンらしき生物にも出会いました。逃げる胴体の長い生き物がチラッと(笑)。
しかし野生生物の観察をする学者や写真家などには頭が下がります。ただ何もせず待つのが苦痛でしょうがない。
もちろん、少しでも巡り会えたときの喜びったらありません。

闇夜で登ってくる何組かとすれ違いました。昆虫採集(網を持っていた)、暗闇デート、いろいろ理由はあるでしょうが、不思議でしょうがない。相手も私たちのことをそう思っていると考えると面白い。
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明王が岳にもベンチや茶屋
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今回一番の急登
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陣馬山到着
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広い山頂
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高尾599ミュージアムの外観。古民家のようで素敵

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↑そばで体力充電

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誰もいない薬王院

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立派な杉

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タグ:高尾山
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4/8 奥高尾縦走①高尾山~小仏峠~景信山 [▲日本の山(百名山など)]

〈行程〉
06:45 高尾山駅到着
07:30 高尾山登頂 6号路
09:10 小仏峠
11:02 景信山登頂
12:52 明王峠
13:37 陣馬山登頂~高原下バス停まで和田林道を歩く
16:00 高尾599ミュージアム
17:00 高橋家で夕食
17:40 ケーブルカーで薬王院へ
18:00~20:00 高尾山でムササビ観察、1号路を下山

普段から高尾は人が多いので、相方が行きたくないと後回しにしていた奥高尾縦走。
難易度の順番で言えば、雲取山よりも先に来るべきでしたが(笑)、桜が見頃ということと、移動費が安い!という強力な動機により実現しました。

始発で高尾山口に到着。気持ちよい6号路をのんびり。既にトレランの人が降りてきたり(笑)。
先週の雲取山の疲れが残ってるので、異様にゆっくりなペースになってしまった。
高尾に登頂、春霞の出る前に登って良かった。富士山がくっきり!
途中にあった硯岩は昔海の底にあった高尾一帯が地殻変動で盛り上げられ、砂や泥が固められたものだという。堅く粒子が細かいので、硯や碁石に使われたことから別名「硯石」と呼ばれたと言います。
放送内容忘れましたけど、これ、絶対ブラタモリで紹介されましたよね。

高尾.png

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↑6号路を登ります
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↑飛び石
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↑早朝はまだ人気(ひとけ)がありません
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↑富士山くっきり

一丁平、モミジ平の満開の桜を眺めながら小仏峠へ。開けた茶屋の上に降り注ぐ桜。日本百名山のロケが来てました。登山家の名前はわかりませんが、記念写真を撮ってる方がちらほらいました。 ろくな朝食をとっていなかったので、ここで早めの昼食。

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↑これより奥高雄の道標(ちなみに左右どちらも同じ道に通じます)
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↑もみじ台
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↑まだ午前中なので霞がでておらず富士山が見えます
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↑小仏城山に到着
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↑道中、花が咲き誇ります
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↑昼寝族もたくさん

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↑相模湖を眺めつつ・・・

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↑四十雀(しじゅうから)ちゃん
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↑景信山に到着
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気持ちの良い林道から相模湖を垣間見たり、開けた眺望から関東平野が眺められたり、トンネルが下を通ってる山道では軽めのアップダウンを繰り返し、景信山に到着!
崖のギリギリまでベンチとテーブルがあるのがいいですね。木々が影になって、ちょっと密やかな気分になる。
ここでは小休憩だけにし、茶屋の一つの看板犬と戯れて癒されました。
5匹いたのですが、雑種?と巨大プードルちゃんと秋田犬!みんないい子でしたが、プードルちゃんはとっても大人しい!フワフワの毛をさわると気持ちよさそうにしてましたが、毛が細過ぎて厚みがないため、骨の感触がじかに手に当たるのでなるべく優しく撫でました。
対して、秋田犬の毛の密度はすごいです。もっさもさで分厚くて。山の男!っていう雰囲気です。
雑種はシエパードとボクサーの混血犬のようでしたが、泥まみれのままじゃれてくるので嬉しいやら困るやら。

犬に癒された後は、陣馬山へgo! しかしこの途中、右足首痛が再発してしまったので、ゆっくり怪我しないよう歩いたのでペースが遅くなり、そのため相方が疲れてしまったようです(笑)


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4/1 雲取山へ初登山②~将門迷走ルート [▲日本の山(百名山など)]

■将門公「迷走ルート」

http://www.sannichi.co.jp/article/2017/09/13/00220868

2017年に設置されたようです。雲取山は標高2017mなので昨年はもの凄い登山客の数だったようですね。
この「迷走ルート」のタイミングは歴史上のどこだろうかと考えたのですが、将門が「新皇」を名乗り、朝廷が追討令を出し、将門が春の収穫のため兵を国元に帰したタイミングで、平貞盛と藤原秀郷が出兵。その後の話のようですね。下記ウィキペディアから抜粋した太い文字の箇所が、この雲取山に将門が来たタイミングだと思われます。

《ウィキペディアから抜粋》

間もなく、貞盛が下野国押領使の藤原秀郷と力をあわせて兵4000を集めているとの報告が入る。将門は諸国から召集していた軍兵のほとんどを帰国させていたこともあり手許には1000人足らずしか残っていなかったが、時を移しては不利になると考えて2月1日を期して出撃した。将門の副将藤原玄茂の武将多治経明と坂上遂高らは貞盛・秀郷軍を発見すると将門に報告もせずに攻撃を開始するも、元来老練な軍略に長じた秀郷軍に玄茂軍は瞬く間に敗走。貞盛・秀郷軍はこれを追撃し、下総国川口にて将門軍と合戦となる。将門自ら陣頭に立って奮戦したために貞盛・秀郷らもたじろぐが、時が経つにつれ数に勝る官軍に将門軍は押され、ついには退却を余儀なくされた。


この手痛い敗戦により追い詰められた将門は、地の利のある本拠地に敵を誘い込み起死回生の大勝負を仕掛けるために幸島郡(茨城県)の広江に隠れる。しかし貞盛・秀郷らはこの策には乗らず、勝ち戦の勢いを民衆に呼びかけ更に兵を集め、藤原為憲も加わり、2月13日将門の本拠石井に攻め寄せ焼き払う「焦土作戦」に出た。これによって民衆は住処を失い路頭に迷うが、追討軍による焼き討ちを恨むよりも、将門らにより世が治まらないことを嘆いたという。
当の将門は身に甲冑をつけたまま貞盛らの探索をかわしながら諸処を転々とし、反撃に向けて兵を召集するが形勢が悪くて思うように集まらないために攻撃に転ずることもままならず、僅か手勢400を率いて幸島郡の北山を背に陣をしいて味方の援軍を待つ。しかし、味方の来援よりも先にその所在が敵の知ることとなり寡兵のまま最後の決戦の時を迎えることとなった。

茨城幸島郡→奥多摩まで、適当に見繕って194kmもあります。同じ関東での争いといえど、これだけ方々に逃げ惑って、また本拠地へ戻るのは大変だったでしょう。

看板は12個】
●プロローグ

①将門丹波山に来たる
お祭りと鴨沢の福寿寺…将門一行が三日三晩お祭り騒ぎをしたことから着いた地名。近隣の住民も混じって盛大に行ったといい、地元民は将門を偲んだといいます。近くの福寿寺で、正室の紫の前が疲れ果てた体を休めたという。酒宴の最中、敵が近くに来たことを知り、再び七ツ石へ向かい始めたと言います。
釜場タワ…ここまでくれば安心と、一行が自炊した場所
小袖…川で洗濯を始めたが夕立に遭い、小袖を置き忘れたままになったという。
茶煮場 …雨がやみ、一服した場所
風呂岩…すいほろいわ、と読みます。その名の通り簡易岩風呂を造り、体を休めた場所。敵に見つからないよう岩風呂を打ち壊したが、それがそのままの形で岩となったという。
堂所 …休憩のために一行が鎧を脱いで休んだ場所
紫久保…紫の前が突如自害!足手まといにならぬためか…
七ツ石神社と七ツ石山…将門の影武者七人衆のわら人形を作り並べ、敵がそれを射貫いたら岩に変化したという。かっこいいエピソード。
大血川の悲劇…一族99人の姫が一斉に自害!
●エピローグ

エピローグには、青梅の金剛寺に立ち寄ったとあります。しかし⑧には七ツ石山から天祖山へとあります。
しかし七ツ石から天祖山へ行くには東の鷹巣山へ縦走して一度日原に降り、再び天祖山へ登らなくてはならないので、天祖山へ行かずに、そのまま日原街道を通り、青梅へ向かったということでしょうか。

その後茨城県の岩井で打ち倒されたとあります。確かに日原を通ると目立つので北から時計回りに茨城県へ戻る方が途中で敵に見つからない気もしますが、それはできなかったということでしょうか。
近いようで雲取山から青梅まで80km近くもあるので、身も心もくたくたになりますよね。



発見としては「青梅」の地名の由来。将門の残した句「
我願い成就あらば栄ふべし。しからずば枯れよかし」から来ているとは思いませんでした。


どういうことかというと、梅の枝を地面に突き刺し「わが願いがかなわないならば枯れよ」と言ったわけです。するとこの梅の木の実は、おかしなことにいつまでも熟さずに青々としたままだったそうです。そこから「青い梅=青梅」の地名がつきました。


生きるか死ぬかという瀬戸際で、もう一歩も歩けないという状態。シャリバテ・筋肉疲労バテ・水バテを経験し、少し姫たちの絶望がわかる気がします。七ツ石神社は朽ち果て、少し陰湿な雰囲気を醸し出していました。
私は見える人ではないですが、成仏を願わずにはおれません。

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↑荒れた神社。建て直すそうです
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