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江戸ねこ茶屋 [★和の催し]

●HP・・・https://edonekochaya.com/#highlights

和の催しというより、まんま「ねこカフェ」ですけれど、とりあえず和風なのでこちらに書かせて頂きました。
歴代の猫好き浮世絵画家の作品に紛れ込んだ…という世界観。
パネルを立てて長屋や茶屋、銭湯などを模していました。
江戸情緒たっぷりというわけにはいきませんでしたが、架設だからこんなものかな?という感じです。
国芳らの浮世絵の説明画が小さくほんのお飾りだったので、外国人観光客は浮世絵の世界観だと気がつかないかもしれません。それが残念ですが、まあ猫が主役だからしょうがないですね。

肝心の猫ちゃん。30匹はいたでしょうか?みんな艶々、ふかふかできれいそのもの。
どうしても脱出したい猫ちゃんもいて、出入り口でお客さんを出待ちしてたっけ。
ホワイトソックスの黒猫ちゃんが三匹いて記憶に残りました。
おおむねの猫ちゃんは、近寄ったり触ると避けるけど、座って目線を近くにすると勝手によってきてくれました。
鞄をクンクンされたのでチャームをぶらぶらさせて遊ばせていたら、スタッフに止められました。
うーん、アイテム不在のなか戯れるのは飼っていない者にとっては難しい…。

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↑猫パネルにまとわりつく猫
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↑そんなに細いところに寝なくても
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↑手前の猫、近づいているのがおわかりでしょうか。結局餌を食べませんでした
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↑餌を食べる猫の塔
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↑こんな部屋も
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↑膝の下くぐりが好きな猫たち。このあと次々やってきました。隠れてるつもりでしょうか
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一匹、長い間老齢のブリーダーに飼われていた猫嫌いの猫がいたのですが、その猫は体が大きいのですが、ちょっかいを出す猫に唸られたり追いかけられたりして、猫社会も大変だなと。猫パンチで応戦してましたが、そういうはぐれ者を嫌う性格の猫もいるのですかね。

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↑二枚とも猫嫌いの猫ちゃん

猫用のキャンディー(と言う名の魚ペーストを固めた物?)をむさぼりに来る二匹の猫がいて、そのうちの一匹は頭からかじりついてくるのでご注意を。せっかく他の猫ちゃんのペロペロ顔を楽しんでいたのに一瞬で奪われてしまいました。
お土産は、大判タオルやiPhoneケース、メモなど。ハンカチサイズのタオルが無かったのが残念。
また、秋葉原にある「猫カフェMOCA」が経営しているのか、直近1ヶ月以内にそこに行った人はお断りされます。

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↑わかりづらいですがチーズ明太もんじゃ、美味でした
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↑江戸ノレンのもんじゃ焼き「もへじ」で舌鼓


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平成31年大相撲初場所 1月14日初日@国技館 [★相撲観戦]

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↑幕の内弁当の内容が若干変更

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↑お得感のある寿司「大関」盛り


稀勢の里が引退するかもしれないぞと、のぞんだ初日の相撲観戦。

御嶽海という一度優勝も経験し、失うものは何もないノリノリの若手があてられたことで嫌な予感はしていました。


4日目の引退会見で何とも言えない寂しさが去来。
録画していた相撲中継を見たら、案の定現役力士たちによる稀勢の里とのエピソードがたくさん語られており、中でも豊ノ島の話が泣けました。

場所前に琴奨菊・豊ノ島と3人で稽古したとき、とても充実した稽古がとれたと。その時稀勢の里は「相撲ってこんなに楽しいんですね、やめられないですね」と言っていたそうです。

そんな豊ノ島には前夜、電話で引退する報告があり、そこで「(琴奨菊と豊ノ島の)二人の背中を追ってここまでやってきました」と語っていたそうです。
この日、若隆景に気迫の相撲で勝った豊ノ島の姿に胸が熱くなりました。
稀勢の里は中卒で入門したから、琴奨菊と豊ノ島はほぼ同期ですが年上なんですよね。


一時期付け人をしていた竜電。幕内で稀勢の里と取組が出来なかったので、取りたかったと。きっっと、自分が(稀勢の里と割が組まれるまで)強くなるのを待っていてほしかったと思ったのでしょうね。勝って恩返しがしたかったとも語っていました。
どのエピソードも涙を誘わずにはいられません。


初優勝の喜びで祝賀会に訪れたのも2年前。
鶴竜がのらりくらりと休場と出場を繰り返しているのに比べたら、何となく休場するタイミングを間違えた気がしなくもありません。
途中休場を繰り返すより、潔く連続優勝直後に一年間ぐらい休んでしまえばよかった。彼が愚直にファンのことを思えば思うほど、心と体がばらばらになり裏目に出てしまった気もします。
祝賀会、小学校での優勝報告会、靖国神社、野見宿禰神社での奉納土俵、kitte場所でのインタビュー…。ずっと追いかけていました。相撲にまつわる神事や行事がこんなにもあるのかと、稀勢の里を通じて発見したことも沢山ありました。相撲の楽しみを与えてくれてありがとうと言いたいです。
おそらく世間では「最弱の横綱」というイメージが就いてしまったと思いますが、一時期は横綱に肩を並べる「最強の大関」だったのです。比べるのも失礼だとは思いますが、平成27年からの鶴竜と比べるとそれがわかると思います。 終わり一番勝って引退して欲しかった気もしますが、そもそも勝ったら引退しませんしね…。残念です。
《鶴竜力三郎》
平成27年1月 西横綱1 10勝5敗
平成27年3月 東横綱2 0勝1敗14休
平成27年5月 東横綱2 0勝0敗15休
平成27年7月 東横綱2 12勝3敗 準優勝 (6回目)
平成27年9月 西横綱1 12勝3敗 優勝 (2回目)
平成27年11月 東横綱1 9勝6敗
平成28年1月 東横綱2 10勝5敗
平成28年3月 東横綱2 10勝5敗
平成28年5月 西横綱1 11勝4敗
平成28年7月 西横綱1 2勝2敗11休
平成28年9月 東横綱2 10勝5敗
平成28年11月 西横綱1 14勝1敗
《稀勢の里》
平成27年1月 東大関1 11勝4敗 準優勝 (7回目)
平成27年3月 東大関1 9勝6敗
平成27年5月 東大関1 11勝4敗 準優勝 (8回目)
平成27年7月 東大関1 10勝5敗
平成27年9月 西大関1 11勝4敗
平成27年11月 西大関1 10勝5敗
平成28年1月 東大関1 9勝6敗
平成28年3月 西大関1 13勝2敗 準優勝 (9回目)
平成28年5月 東大関1 13勝2敗 準優勝 (10回目)
平成28年7月 東大関1 12勝3敗 準優勝 (11回目)
平成28年9月 東大関1 10勝5敗
平成28年11月 西大関1 12勝3敗 準優勝(12回目)
●相撲博物館「江戸時代後期の大相撲」
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幕末の大型力士の特集もありました。
大空武左衛門(おおぞら・ぶざえもん 1796~1832)
肥後国上益城郡矢田ノ床田所村の生まれで、36歳で死去。
内気な性格で取組は一度も行わず、見せ物として土俵入りだけ行ったといいます。七尺五寸=227センチもあり、「七尺五寸」は大男の代名詞ともなった力士です。 通称「牛またぎ」といって、牛をひょいとまたぐ絵がありました(歌川豊国画)。
生月鯨太左衛門(いけづき・げいたざえもん 1827~1850)
23歳で死去。肥前国松浦郡(現在の長崎県平戸市生月町)出身の江戸時代の力士で身長が227cm、体重が169kgもあったそうな。平戸藩生月島は江戸時代中期より捕鯨で有名となり、文政年間には日本一の捕鯨量を誇っていた。それにちなみ四股名をつけられました。
東京都江東区にある富岡八幡宮に彼の力士手形足形碑があります。彼も見世物要素が強く、土俵入りだけを行うことが多かったようで、気は優しいですが女遊びを覚えてしまい、梅毒で死んでしまったという説があります。また脚気だったという説もあり、これだけの巨体、当時の食生活を考えると獣肉を食さないで維持するのは大変だったのかもしれません。
白真弓肥太右衛門(しらまゆみ・ひだえもん 1829年~明治元年1868年12月22日)
39歳で死去。岐阜県白川村の前頭筆頭。この方、黒船ペリー来航の際、米俵を軽々運んで外国人を驚かせた有名人。
浮世絵には、力士らがアメリカ人が俵の上に乗っているのをそのまま担ぐ姿も。
日本人の平均身長が150センチにも満たない時代に、よくこれだけの巨漢が現れたものです。見世物というと差別的な印象を受けますが、むしろ反対で、彼らはいるだけで庶民のヒーローだったのでしょう。しかし皆が皆短命だったことが気になりますね。
●国技館情報
・バラエティちゃんこ
ちゃんこは陸奥部屋のみそとしょうゆを合わせたものでした。ほどよくこくがあって、日本人の好きな基本の味です。肉が大きめでした。
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・力士フレームで写真撮影
9月場所で初お目見えでしたが、そのときは「QRで写真読みとり&撮った写真をカードに印刷」でしたが、カードにするのはやめたみたいです。
QRコードで読みとり、自分のメールアドレスに写真を送信してもらうだけのサービスになりました。時間がかかってしょうがなかったからかもしれません。
・幕内土俵入り記念撮影コーナー
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2階の向こう正面廊下に土俵入りパネルが置かれました。
力士が並んでいる土俵入り大型パネルの前に、化粧回しを印刷したパネルが。この前に立つと自分が土俵入りしているようにみえます。
ここは通行人がほとんどいないので、思う存分撮影を楽しめます(笑)。
パネルは琴奨菊と大翔丸、大栄翔らが並んでおり、琴奨菊の隣の隙間に置かれています。なぜこの人物の間?と思う人選でしたが、おそらくたまたま隙間が空いている写真を探したところ、これがちょうどよかったんでしょうね。そして解像度が凄く荒いです。近づいてみると力士の顔はブロック状に(笑)。
・式守勘太夫が式守伊之助を襲名
場内アナウンスでさらっと紹介されてました。おめでとう~。木村庄之助はまだまだ空位のままかもしれませんね。
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↑この日は入り待ち時間がとれずこの一枚のみ
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↑左は御獄海の優勝パネル

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波除け神社で初詣 築地市場 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

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●http://namiyoke.or.jp/jinjyanogosyoukai.html


今年の初詣は、職場から近いので波除け神社に。

ここは気づきにくいのですが稲荷神社です。祭神は「うがのみたまのみこと」です。

何度も訪れているのに初めて知ったのですが、一年を通して毎月七日に七福神の御朱印を一体ずついただけて、すべて集めると年末に記念品を頂けるそうです。

ちなみに、七福神のどれか一体だけでもいいので、年末に持って行くと宝船の絵を頂けるそうです。


今年は御守りというより願掛けの意味合いが強い「干支守り」を頂きました。自分の干支の灯籠に願い事を込めて玉を置き、もう一つ同じ玉をお守り袋にいれて持ち歩くと成就するそうです。

私は浅ましくも金運上昇を選択。 でも誰かを幸せにしたり経済活動の一助になるためなら、お金は決して悪いものではありませんよね!


>>由来抜粋

そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事です。 


とあります。浅草寺の観音も海から拾われたことが始まりですよね。あたかも神意により仏が現れたという、こういった伝説は各地に多いのでしょうか。

波除け神社七福神はある芸術家が作った牧歌的なフィギュアで、頭に魚介類を載せています。とても可愛らしい。

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